こんにちは!
元引きこもりのらいです。
今回は秋の体験談を自分に酔いながら書いていきます。
カモシカの目撃情報はありましたか?
紅葉も終わりかけた山で父と二人で運動がてら散策をしていた。
お互い決まった休日のない仕事についている。休みが合うことは珍しく、せっかくだからと父の提案で山へ登っていく。
整備されていないわけではないが、人工物による舗装は少なく、登山道は少し辛めの急勾配を呈していた。よく言えば自然を感じ、短い距離でも良い運動になる道だ。
展望台の眺めもほどほどに、日が傾きはじめたため下山していく。平日だからか、登山客はなく、静謐な木立の中、父と自分の落ち葉を踏む音だけがザッザッザッと耳に染み入る。
「カモシカの目撃情報はありましたか?」
唐突な少年の声。見ると四人組の男子小学生たちが登山道を上っていた。
「カモシカの目撃情報はありましたか?」
半信半疑だったがやはりこちらに話しかけているようだ。
「こんにちは。」
「「「「こんにちは!」」」」
「カモシカは見ていないなぁ。この山にはいないかもしれないね。」
少年たちは会釈をし、気にせず登っていった。学校を終え荷物を下ろしてすぐに集まったという出で立ちの彼ら。引きこもりの自分には終ぞ縁がなかったシチュエーション。王道不思議冒険物のファミリー映画で主人公組になれそうだったなという印象を残り香として置き去っていく。父と自分も帰路に就く。
にしても、目が合ってもいない通行人に挨拶でも呼びかけでもなく、第一声で自らの疑問を話しかける。すごく小学生を感じる。なにより、
“カモシカの目撃情報はありましたか“
日本語の文法として間違ってはいないはずなのに。短い語ながら、言い回しの節々に小学生をたっぷり読み取れるのはなんだろう。
一般語に直すなら「カモシカを見かけましたか?」や「カモシカの情報を教えてください」といったところだろうか。それでも初対面への最初の声かけとしては不適切だが。
誤解のないよう書くと、発達年齢を考えずマウントをとりたかったり、教育を嘆きたかったりする意図はない。純粋に味わい深い小学生のリアリティを備忘録として共有したいだけである。むしろ最近の子たちはオフラインでの繋がりを持たないという偏見があったので、自分にとっては友達同士で自然の中に繰り出す彼らはとても望ましい姿をしていた。
野生のカモシカを観たいという無垢な願いのみで山を登っていった未来を僕は忘れないだろう。
歌声自転車
いつも通り一日が終わり、いつもより早めにベッドに入ることができた夜の事。
明日の仕事のために目を閉じようか、心の活力のため好きなことをしようか、くすぶりながらまどろんでいた。
「○☆※が~♪◇◎ない♡○※も~♪(J-popっぽいリズムと歌詞)」
突如、大きな歌声が、頭上の窓の外を通り過ぎていった。
驚きよりも懐かしさが先行した。
(まだ走っていたのか。)
日が沈み切った暗闇の中、街灯の下を自転車が通る。決まって向かいの道を横切る。特筆すべきは窓越しでも聞こえる結構な声量で歌いながら走っていくことだ。
自分が高校生のときからだろうか、寝ようか夜更かししようかと部屋にいると時々この自転車を目撃もしくは彼の歌を聞くことがまぁまぁな頻度であった。
取るに足らない1ページにも満たない日常の1行。
近所づきあいも希薄なため、彼が誰かを知る由もなく、彼のことを誰かに話すこともなく日々は過ぎていった。
ほどなくして世間はコロナ過に入り、自分も長期入院により家に帰れなくなった。
激動の後の大学生活中、彼の歌を耳にすることはなかった。そもそも自分の記憶から消えていた。
実家を出ないまま就職し、社会人となった後、再び遭遇するとは、その瞬間まで考えもしなかった。
特筆すべきは彼がどうこうではなく、彼の歌を日々聞いていた高校時代から、入院、大学、就活、新社会人半年間という自分の半生が、歌声でフラッシュバックしたことである。
ノスタルジーと言うにはあまりにも廉価で、陳腐と言うにはあまりにも独特なこの一瞬の気持ちを文章として発散させてもらった。
彼は若い声だ。自分と変わらない年代だと考えると彼にもライフステージの変化があったのだろうが、それでもこの地元を離れてはいない。少なくとも所縁を捨ててはない事がほんのりと嬉しかった。
名前も顔もしらない彼のお気に入りの曲が尽きないことを願う。
お付き合いいただきありがとうございました。
今回、いつも以上に事実だけの実話です。脚色や誇張が無添加です。
暇つぶしのスナックとしては味足りないかもですが、濃い記事と濃い記事の間の箸休め程度にでもなれば幸いでした。
それでは、シーユー(@^^)/~~~



