こんにちは!
元引きこもりのらいです!
今回、後編ということで前回の続きを書いていきます!
↓前回↓
警察沙汰どうなった?どう思う?
前回、道路に寝転び交通妨害をしてしまったために、通報され警察に見つかったところで終わっていました。
簡単に言うと、追いかけてきた母さんが居たのこともあり、住所や氏名を伝えただけでサヨナラし、無事家に帰り、その日は何事もありませんでした。
僕は”精神障害者保健福祉手帳”というものを持っているのですが、母がこの名前を出していたので、スッと解放されたのはその影響もあったのかもしれません。
恐らく通報され警察沙汰になった今回に関して僕の感想ですが、実際「やっとか…」って感じです。
逆になぜ今までお世話にならなかったのか不思議なので。
これまでも、昼夜関係なく叫んで飛び出し、なんなら服を着ていないときすらあったので、絶対1,2回ぐらいは通報されているはずですし。
また、飛び出した僕を連れ戻すときの家族の常套句として「警察が来るよ!」があるのですが、それを聞いても僕自身、暴れているのも辛く止めてもらえるならと「来るなら来てくれ」といった思いでした。
その後
その次の日また家を飛び出しました。
理由は前と同じ、筋トレが出来なかったからです。
またその次の日また同じ理由で、今度はベランダから飛び降りようとしました。
そこで家族は119に電話しましたが、救急隊員が来る前に落ち着き、「いつもこういうことがあるのか?」等色々話し、そして精神病として病院に行くことになったのです。
そこで病院の先生に、命の危険があるならと入院を強く勧められましたが、僕の意思の問題で入院では解決しないと考え、また暴れるだろうなと感じつつも薬だけもらいました。
家族が「入院しろ」というのであればするつもりでしたが、彼らも入院という考えに対しては消極的でした。
ちなみに、その手の薬をもらい、薬でも解決することがないと思いましたが、家族が飲んでほしいとのことなので服用はしてます。
ENDLESS OF THE KANSYAKU
しかし、次の日も次の日も癇癪を起します。
いつだったか、うちは家族ぐるみで新興宗教に入っているのですが、家に安置してある依代(信仰の対象が宿るもの)である紙をビリビリに破いたりもしてしまいました。
ここ2週間余り毎日癇癪を起し続けており、もはや引きこもり時代の頻度を軽く越えています。
何故僕は癇癪を起すのか?
今更本題ですが、考えてみます。
まず、癇癪の原点として幼少期の”駄々をこねる”という行為が当てはまるでしょう。
多かれ少なかれ誰しもが経験すると思います。
しかし 、高校生になってもそれはおかしいのでは?
調べてみると社会人になっても起こす人がいるようです。
その原因の一つとして要求を通すための手段として味を占めているという情報がありました。
自分の鬱憤を晴らしているかもしれないとすると、完全には否定できません。
ですが、僕の欲求は筋トレをしたいということ。
自分がめんどくさがる以外の障害はなく、こんなことをしても解決はしません。
そもそも欲求不満に陥った際の激しいストレスへの対処なのでしょう。
癇癪という行為にいたってしまう経緯は癖なのでしょうか?
ならば社会に出る前に進路云々よりも早く対処しなければいけません。
心の原因
またストレス自体の軽減についても考えてみます。
自分が決めたことが出来ていないことを自分で責めすぎるこの癖も僕にはあるのと思います。
今回もその一つ、進路が決められなかったことに対しても、ブログが更新できなかったことに対しても、そう。
きっと、自分の”できない”が許せないのでしょう。
「しなければならない」を「するにこしたことはない」に思考を変えねばならないことは理解しています。
しかし、そう簡単には変えられません。
僕自身、”認めたらそこで成長が止まる”という考えがある節があります。
ですが、それもまた正しいと思います。
6年間止まってきたので。
ですから、”今は”この考えも捨てずに、かつ心に負担をかけすぎない丁度良い地点を探しているのだということにしました。
言うて僕若いですし。(癇癪起こす年でもないけど)
うぁ長っ…
…
…
…ふぅ
とまぁ現状報告したわけで、今朝も癇癪を起した身恐縮ですが、これを読んでくれた皆様に感謝と約束をさせてください「もう癇癪を起さない」って。
前々回の記事の予言通りこの5月でも進化します。
「癇癪が止んだ」という進化をします。
↓前々回の記事↓
ここまでお付き合いくださり本当にありがとうございました。
シーユー(@^^)/~~~